たった一人の貴方に贈る11の言葉:約束のこの場所で
約束していた。
ずっと一緒に居よう、ずっと隣り合って暮らそう。
不安定で不確かな曖昧な誓い。
幼い二人には絶対だった。
絶対だったから、いつだって待っていた。
約束が果たされる日を。
あるいは、ずっと待たせていた。
待たせ続けていた。
待つのに飽きられて、見捨てられたのだ。
あるいは、約束が破れるのを見ないがために自分で無惨に引き裂いてしまった。
ぽつりと「ここに一人いるのは淋しい」と言ったのは誰だったか。
「もっと一緒に居たい」と言ったのはどちらだったか。
どちらであっても同じ。
二人とも想いは同じだったのだから。
口には出さなかっただけで、同じ想いを抱いていた。
だから、突き詰めても意味はない。
静かに流れる夜の温度。
痛みも悲しみも全てをゆるやかに冷ましていく。
冴え渡る思考は回顧へと繋がる。
満たされた温かなものが冷たいものに掴まれ、温度を失っていく。
湯冷めという現実問題であれば、まだ対処はできただろう。
過去は冷たく鋭利な刃となると知りながら、それでもサガは触れずにはいられない。
義務や懺悔ではなく、その時にしか存在し得なかった温もりもあったから。
厳しく優しい言葉を忘れたいとは思わない。
けれども、あの時、欲しいものを言い訳せずに手に入れるには何が必要だっただろうか。
身動きがとれずに選んだ道は失敗ばかり。
空回りで意味をなしはしなかった。
この回顧すら意味をなしはしない。
何もなしはしない。
「カノンを逃げ道にはしたくない」そう思って、在りし日のサガはカノンを振り払った。
傷つけると知っていた。
今はまだ早い言葉だと知っていた。
サガ自身にすら早すぎた言葉だった。
泣くカノンに触れたくなかった。
傷つくカノンを見たくはなかった。
勝手すぎる理屈で想いだとしても。
疲れていく自分を曝したくもなかった。
「言わなければ伝わらない」とカノンは教えてくれていた。
それでも、伝え方がわからなくて戸惑いのままに日々は過ぎて、歯車は軋んだのちに壊れた。
振りきれた針を戻すことはその気になれば出来たのかもしれない。
当時は全てのことが許せなかった。
自分もカノンも。
望みも願いもすれ違っていた。
悔しさと共に認めるしかないことがある。
サガ自身にとっては狂気を加速させたとはいえ、もう一人のサガは大体の面で正しかった。
サガの本心もカノンの気持ちもちゃんとわかっていた。
拒絶が否定が、距離を置くことが、二人が傷つかない手段な筈がなかった。
傷つき続けていた。
傷つけ続けていた。
絶対の約束を反故にする行為だったのだから。
自分が痛かったのなら、カノンだって痛かった筈なのに、全てに目を瞑っていた。
強がりで自分が痛くないと言ったところでカノンは痛かった筈なのに、目を逸らし続けた。
そんなことは認めたくないと13年間逃げ続けていた。
「サガ?」
気が付くとカノンが目の前に居た。
風呂上りの湿った空気を帯びている。
髪の毛はちゃんと乾かしてからきたようで濡れてはいない。
昔はドライヤーを使うのが嫌いで濡れた髪のままで寝ようとしていた。
甦ってからずっと髪を確りと乾かしていたのだろうに、気が付いたのは今この時。
サガは自分が今でも見落としていることなんて沢山あるのだと分かりきっていたことを再度認識する。
「少し、色々と思い出していた……」
目でどうしたのかと聞くカノンにサガは小さく答える。
ぼかしてはいるが明日という日を考えれば、何を連想していたかは、おのずと知れただろう。
溜め息をつくようにカノンは「サガはサガか」と呟いて掛け布団をめくりベットに入る。
甦ったからというもの、二人で寝ることが普通になっていた。
時々の例外はあるものの毎日一緒に眠りにつく。
幸せな生活。
カノンは思い出したように自分達の年を話題に出して渋るものの結局は一緒に寝る。
触れ合えば別離があるかもしれない。
けれど、触れ合わなければ断絶の溝に泣き狂う。
二人が繋いだ手を離さないと決めているのならば、こんな問答は無意味。
カノンが別離の不安から距離を置こうとするのなら、サガがその分の距離を埋めればいい。
逆のことが起こったら、カノンもきっとそうするのだから。
「なんで、わざわざ?」
カノンは疑問をそのまま口にする。
不思議そうに真っ直ぐサガを見つめるので言葉に詰まる。
正解のないなぞかけの答えを探す心地。
サガにもどうしてかはわからない。
もうすぐ明日になる今、思い出す必要はないのに、カノンが風呂から上がるのを待っていたらつい考えていた。
今だからこそ触れることができた記憶なのかも知れないけれど、きちんとした説明はできない。
「わからない。ふと、思ったんだ」
サガの言葉に「そうか」と予想が付いていたのだろう、あっさりとカノンは頷く。
「損な性格というか、なんというか」とカノンは納得いく理由でも見つけたのか一人ごちる。
サガには未だに自分のことだというのに掴みきれない。
あるいは、見ないふりをしているだけか。
「悲しい?痛い?」
カノンの言葉に首を横に振る。
そうではない。悲しくも痛くもあるが、それだけでは終わらない。そんなものでは生ぬるい。
「約束を覚えている?」そうサガは言うべきではない言葉を口にする。
カノンが覚えているなんてことは分かりきっていたから、聞く必要はなかった。
けれども、聞いてみたいとも思った。
「覚えているから、帰ってきた」か細い呟き。
カノンは視線を落とし溜め息混じり。遠い場所にいるようだった。
「オレ達は、ずっと一緒にいるなんて、約束するまでもなかったんだ」
カノンの言葉はどこか自嘲混じり。
「当たり前を確認し過ぎて崩れたと言いたいんだろうけど」サガはカノンの言葉に反論するように続ける。
「約束という形がなければ、もっと早く崩れたのかもしれない」と。
サガの言葉にカノンは痛みを覚えるように目を細め「傷も浅く済んだだろうケド」と笑いもせずに言う。
言外に崩れるならそれまでのものだったんだと厳しく言っている。
カノンの寂しさはいつだってそういう風に中途半端に強がることだろうか。
その意地は愛しいけれど、悲しくもある。
この全てはカノンがカノンである限り変わらないことでもある。
「約束、いつからだったか覚えてないだろ?」
カノンの言葉に驚く。
目を逸らし続けているものを暴かれ、目の前に突き付けられる。
出発地点以外ならばどこの傷も所詮は治りかけ。
けれども、一番初めの出来事は現在と直線距離で繋がっている。
見たくないわけではない。
触れたくないわけではない。
ただ、忌避し続けた。
図星が顔にでも出たのかカノンは溜め息をつく。
「まぁ、触れないどいてやる」
「いつか」
「うん」
「……いつかに、きっと」
「うん」
カノンはただ頷いてくれた。
だから、サガもその先は告げなかった。
曖昧な願いを約束に昇華し、二人を繋ぐ材料にした時。
思い出したくないわけではない。
思い出せないわけではない。
掘り起こすものが、それだけではなくなってしまうから。
まだ、直視できないものもある。
どれほど改竄して通り過ぎても忘れることはできない。
約束は一人ではできない。
自分が忘れても、相手は覚えている。
誓いは継続される。
それはとても耐えがたいほどの苦痛で同時に甘美な蜜だった。
ゆっくりと紐解いていく。
色々なことを、これから徐々に解きほぐしていく。
二人にはそれだけの時間がちゃんとあるのだから。
もうすぐで日付が変わる。
一番にカノンに「おめでとう」と言えるとサガの心は安らぐ。
当たり前が当たり前ではない時間が長すぎた。
非日常を日常とし過ぎた。
戻していくことはとても骨が折れるだろうから、少しずつ二人で確認していかなければならない。
13年間、どんな生き方をしていたところで、サガがサガであるようにカノンはカノン。
約束の場所を求め続けたのならば、根本的に変わっていない。
カノンがソワソワと時計を横目で見る。
日付が変わったらすぐに「おめでとう」というつもりなのだろう。
以前もサガより先にカノンが言おうと意気込んでいたことがある。
サガもカノンにすぐに言いたかったので結局は同時になるのだ。
そこは兄だとはいえ譲らない。
兄だからこそ譲らない。
いつのことだっただろうか。
早口で先に言い終わったから、自分が先に言ったとカノンが自身満々によくわからない勝利宣言をしたのは。
いきなり年の数だけの「おめでとう」を連呼した日は。
当たり前にあった誕生日の風景。
失われて久しかったもの。
それに思いを馳せたからか、サガにはある必勝パターンがあることを思い出す。
13年以上も行ってはいない絶対にカノンより先に「おめでとう」と言える戦法。
サガだけが持っているカノンの動きを止める魔法。
ただ、真心を伝えるだけ。
大切なことはとてもシンプル。
「カノン」
「ん?」と気が付いたようにサガを見るものの意識はあくまで時計に向いている様子のカノン。
サガも横目で確認しそこからは頭の中で正確に時を計る。
あと5分程度。
300秒を計るのに大した労力はない。
ゆっくりとした動作でカノンと正面でサガは見詰め合う。
いぶかしむカノンを構いもせず、頭の中のカウントとこの後の展開の時間配分を即座にタイムテーブールに起こす。
計画に失敗はありえない。
もう全ては秒読み。
「カノン。――愛しているよ」
微笑むサガ。固まるカノン。
すぐに硬直が解けたものの、カノンは困ったように所在なさ気に焦り、まるで小さな子供のよう。
喜びに顔が緩んでいて、とても愛しい。
4、3、2、1、……0。
日付が変わる。
「誕生日おめでとう。カノン」
軽く唇と唇を合わせる。
流れるような展開にカノンは言葉にならない声を上げる。
そのまま、脱力するように真っ赤にした顔を枕に埋めた。
サガはそのカノンの様子が微笑ましくて嬉しかった。
約束のこの場所で、カノンはずっと待っていてくれたのだと口元だけで笑う。
薄情なのは自分だけだったと潔く認めることにした。
案外、爽やかな気分になれた。
2006/06/19
聖域top
誕生日top
あとがき
サガが回想している誕生日は聖域に来る前の二人だけの時間の記憶。
聖域に着て早々ぐらいはほのぼのだけれど、すれ違うので同時に言い合うことはほぼなし。
大体はサガから先に「おめでとう」。(色々と焦っているので)
お題はここから。[別窓で開きます]