たった一人の貴方に贈る11の言葉:影になってなにも見えない
サガは狼狽する。
目の前が暗いからだ。
電気をつければいいとすら思いつかなかった。
影になって見えないならば、暴いてはならない何かがある気もした。
ふと慎重になる瞬間。
奥から数えて2番目の柱。
その場所は影になっている。
居るのか居ないのか不明瞭。
だから、不安は大きい。
「カノン……?」
名前を呼ぶ。
不安になる。
この頃はあんまり一緒にいることができなかった。
怒っているだろうか。
いても出てくるのが嫌なのかもしれない。
「カノン」
いつもであればすぐに「サガ」と返してくれる。
鈴の音のような元気な声が聞こえない。
影になって見えない場所ばかりが広がっている。
今日は絶対に一緒に夜を越そうと思ったのに、肝心のカノンがいない。
振り返る。
だが、カノンはいない。
柱の影にもいない。
部屋にもいない。
風呂場にも、寝室にもいない。
「カノン」
呼び続ける。
影になって見えない場所にひっそりと隠れている気がして、見落としている気がして不安になる。
呼んでいるその名が誰かに聞かれでもしたら面倒なことになるのにサガはカノンを呼ぶことを止めない。
頭が回らなかった。
ふと、人の気配を感じた。
台所からだ。
影の暗闇からではない。
光はもれて存在を主張している。
「カノンっ」
「どーした?サガ」
籠いっぱいの林檎を剥いている最中だったカノンは息を切らせたサガに疑問符を投げる。
暢気な様子に脱力するものの興味は林檎に移る。
今朝はこんなものはなかった。
「どうしたのだ?」
目で林檎を指してたずねる。
カノンは「市場で買った」と簡単に言う。
作業を優先させたのか、目は林檎とナイフに向けられている。
面白いようにスルスルと皮は剥かれていく。
サガはそれを見るたびに曲芸のようだと感心する。
林檎は三分の一ほど剥かれて並べられている。
「どうやって買ったのだ?」
カノンは聖域に来る時に誰にもバレないのならばと言う条件の元にサガの影星となった。
サガに何かがあったらカノンが代わりになる。そういう約束。
良い人と言えるかはわからないが教皇も双子を引き離すのを不憫に思ったのか二人の願いを聞き入れてくれた。
カノンの状況を思えば良いとは言えないが、一緒にいられるのならば構わないと二人で出した結論だ。
「ヒント!マッチ売りの少女」
サガの言葉に包丁を離し、ピッと人差し指を立てて言うカノン。
言いたいことがわかるようでわからないのでサガは曖昧に笑う。
それを見てカノンは仕方がないと、続ける。
「ヒント2!赤頭巾ちゃん」
今度は人差し指と中指も立てた。指は数字らしい。
戸惑いながらもサガは「共通点……童話、だろうか?」と口にする。
カノンは呆れたように溜め息を吐く。
「そーじゃなくて、サガの質問に答えたんだろ」
「とは言ってもカノン。――マッチを売りながら葡萄酒を届けに行く途中にで林檎を買った訳ではないだろう」
サガの言葉にカノンは得意げに「当たらずとも遠からずといったところかな」と笑う。
実際はと言えば。
「マッチ売りの少女が誰にもマッチを売れず素通りされるように気配を消し、
赤頭巾みたいな特異な格好をしているにもかかわらず堂々と歩くことにより顔を見られないという完璧な」
「えいっ」
カノンの嬉しそうな顔に申し訳ないと思いつつチョップをいれる。
「なんで?」と言いたげな顔にサガは「どうしてそう浅慮なんだ」と怒鳴る。
「いやいや、本当にバカみたいに赤い頭巾被ったヤツがいたら顔を見るより何コイツとか思うだろ?
心理的効果を利用したちゃんとした戦法で」
「えいっ」
掛け声を掛けた後、振り下ろす拳は優しさ。
避けようと思えば避けられただろうにカノンが避けずに殴られるのもまた優しさ。
「たまたま上手くいっただけだろう。変に興味を持たれたらどうする?」
サガの言葉に頭をかきながら「まぁ、そうなんだけど」とカノンは口を尖らせる。
「その上、気配消しているのに目立つとは意味がないではないか」とサガは呆れる。
「んー、一般人には気付かれなかったと思うぞ。赤い閃光が走ったみたいに感じただろうが」
「……カノン、それは目立っている」
サガの言葉に林檎を落としそうになるカノン。
「そんなバカな」と真剣に衝撃を受けているカノンにどうしたものかとサガは思う。
だが、悠長に「次からは気を付けよう」と慰めてしまってはカノンのためにならない。
キチンと叱っておかなければいけない。
使命感に燃えてサガが口を開こうとすると、カノンが沈んだ様子で謝った。
殊勝な態度に気が削がれる。
言おうと思った言葉を飲みこむようにサガはカノンに訳を聞く。
「どうして、林檎を?」
「誕生日だろ?今日」
忘れたのかとカノンは首を傾げる。
包丁を手に取り、皮剥きの作業に戻った。
本当に早い。もう二分の一だ。
「忘れるわけないだろう!今日のために私は」
「……むぅ、忘れてる」
サガの必死な抗弁もカノンには通じない。
口を尖らせて面白くなさそうにカノンは林檎を剥き続ける。
カノンの言葉に自分が忘れてしまったらしいことをサガは必死に探す。
全ての皮を剥ききったカノンは芯を取り除き林檎をスライスしていく。
それを鍋にいれ砂糖をまぶしちょっとだけハチミツを入れレモンの汁をいれた。
どこか見たことのある材料と作り方に林檎の理由に思い至る。
「パイ?」
サガの言葉にカノンは無言で頷く。
不満げなところを見ると、正解に辿りつくのが遅すぎるということだろう。
見れば、あまり使っていないフードプロセッサーが用意されていて、
片付けられていない使い終わった器具を見るとパイ生地も作ったようだ。
冷蔵庫を開けるとラップに包まれた物体があった。
ガス台の前でいつも使っている小ぶりな鍋ではなく大型の鍋で林檎を煮込むカノンは一生懸命だ。
もう使わないだろう器具をカノンに確認を取り流しに入れて洗っていく。
懐かしい。
昔はいつもこうしていた。
カノンが作ってサガが片付ける。
逆はあんまりなかった。
サガは作ることに興味がなかったが、カノンは好きだった。
別にサガも嫌いではなかったが、カノンほどのめり込めはしない。
カノン曰く、サガは手加減ができないらしい。
その時その時で柔軟に対応しなければならないのに、いつでも説明書通り。
変化に対応できないからあんまり愛着も持てないし面白くないんだと言った。
簡単なものはレシピ通りで構わないが、複雑なものになると経験則。
お菓子作りなどは神経質な者に向くとはいうが、神経質すぎると動作は鈍い。
ある程度の器用さと割り切りは何事にも必要だとカノンは言った。
サガはその匙加減は非常に難しいものなのだと思うが、目の前でカノンに容易く行われてしまうとそうも言えない。
聖域に来る前は、林檎のパイを絶対ではないにしても暗黙の了解のように誕生日に食べていた。
習慣の行事は習慣であるがゆえに改めて言われるまで気が付かない。
だからといって、けして軽視している訳ではない。
そのことをカノンも解ってくれているのかサガを責めはしない。不満に思っても。
サガが洗い物を拭き片付ける終わるとカノンはもうパイをオーブンに入れていた。
林檎のピューレは残ったようでプラスチック容器に詰めている。完全に冷めたら冷蔵庫に入れるのだろう。
食品のそういった扱い方だけはカノンはとても丁寧だ。
サガも気をつけてはいるのだが、時々間違った保存をしてしまう。
バナナを冷蔵庫に入れてカノンに怒られたことがある。
ハチミツは渋い顔をされたが、ありにはありらしい。
そういうことは本当によく分からないので素直にカノンに聞くようにしている。
「もうすぐだ。……アツアツと冷めたのどっち食べたい?」
オーブンをチラリと見て焼きあがりそうなのを確認したカノンは夕食の下準備をしながら聞いてくる。
食前か食後かと言うことだろう。
熱々も冷めたものもどちらも捨てがたい。
違った美味しさがあるのだ。
「両方食べよう」
良いことを思いついたと手を叩いて言えば、
カノンは驚いたように「食事前に甘いものはダメって言ってたくせに」と呟く。
「柔軟さは必要だろう?」そう言うとカノンは笑って「その通り」と答えた。
オーブンから出てきたパイは香ばしい匂いをあたりに散らす。
熱い内にシロップを塗るらしく、ジュウジュウと甘い匂い。
網の上に乗せ、少し冷ましてから皿に盛るようだ。
二人で食べるには少し多い量だが、食べきれなかったら朝ごはんにすればいい。
「カノン、手伝おうか?」
「あー、あの大きなのと小さな青いのあっただろ?アレ出して置いてくれ」
カノンは手を止めずサガに皿の指示を出す。
ほどなくして出来上がったメインディッシュを大きな縁が藍色の皿に盛られ、
他のおかずは青い色で模様が描かれた中ぐらいの小皿に雑多に盛られる。
「「いただきます」」
二人で揃って手を合わせ、同じタイミングでパイを手に取る。
カノンは「どう?」と目で問う。
サガは「おいしいよ」と微笑んで言う。
微かに舌に熱い林檎が愛おしい。
料理の方も冷めない内に食べたいとサガは後はデザートとして残した。
カノンは二個目を食べ始めていた。
料理を口にしながらサガはチラリとパイを見る。
ちょっと不恰好な林檎のパイ。
香ばしさが懐かしい。
以前はこういう誕生日が普通だった。
どうして忘れていたのだろう。
カノンはちゃんと覚えていたのに。
影になって何も見えなくなっていたのは自分だけ。
暴かれることを恐れて見えるものすら見えなくなってしまっていた。
落ちた影を光で照らせば簡単に見えないものすら見えるようになる。
単純なことは簡単だからこそ、すぐに記憶の水底に落ちてしまう。
「「ごちそうさま」」
満腹感に気持ち良くなったのかカノンはとろりと眠そうな顔。疲れもあるのだろう。
眠られてしまう前に、まだ伝えていない言葉を贈ろうとサガはカノンを正面から見る。
「誕生日おめでとう、カノン」
「サガも、おめでとう」
二人で笑い合う。
穏やかな幸せの中では何でもないことでも微笑み合える。
大仰な祝いの言葉はいらない。
素朴で率直な想いが伝わればそれでいい。
今日は幸せだ。
二人が生まれた日だから。
2006/06/03
聖域top
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あとがき
子供の頃はフワフワほわほわ、そんなイメージです。
いつも帰ると迎えに来てくれるのにそれがないとサガはアタフタ。
たまにはそんな日もあるっていうことは考えない。
お題はここから。[別窓で開きます]