たった一人の貴方に贈る11の言葉:大声で叫ぶ



冷える身体と正反対に上がっていく心の温度。

大声で、大声で、叫んでいるふりをする。
怒号のような声は届かない。
発せられない。
喉の奥に引っ掛かって、こびり付いて、溢れ出るのは吐息だけ。
たまらなく切なく。
振り払えないほどに生ぬるい。
儚いのは胸に湧き起こるこの感情。
一瞬の閃光のような懐古。
郷愁はあくまで淡い。
喉が裂けても構わないから叫びたいというこの激情も一時のもの。
明日になれば泡沫のように消えている想い。

無闇矢鱈にカノンを求めて駆け出したい気持ちをサガは抑える。
自分を抑制することが唯一の特技と言えたというのに、今日だけは見る影もない。
遠い遠い叫びも、雨音も、雷も、加速した心を止めることはできない。
波音を前にして憎しみも苛立ちすらない凪の心境。
朝露の美しさに感嘆もしないのに、豪雨を浴びる海面に陶酔する。
蹂躙されるように嬲られているのは自身であるのに意に関しはしない。
サガにとって、それらは全てどうでも良いことだった。

「欲しいのはカノンだけ」

叫ぼうとしなければ、声は容易く出すことが出来た。
雨音に紛れて誰にも届きはしない呟きでも。
サガはただ真実を語る。
膝をついたその姿は、傍から見れば罪を告白し、懺悔しているかのよう。
あたりに存在する音が叩きつけられるような水音でなく、
讃美歌やパイプオルガンの音であったなら周囲に天使を幻視できたかもしれない。
近づき難い不可侵の光景。
幸いというか、サガを捜索している彼らはまだ遠く、この表現し難い情景を見ることはないだろう。

「胸にある想いは消せはしない……どう、言い繕うと」

顔を髪を濡らして滴る、雨粒を気にもせずサガはただ海を見る。
「伝わらない想いでも構わない」とサガはわずかに狂気を滲ませた微笑を浮かべる。
精神の磨耗は即、死に繋がる。
それを揶揄するように黒髪の己は「蝋燭の炎が消える前の瞬きを精々楽しめばいい」と嘲った。
このたった一つの気持ちは消せはしない。
どれほどの量の水を浴びたところで消えることない火。

「空でも海でも雨でも――二人を裂けるわけがない」

消えぬ笑みを張り付けてサガはただただ言葉を落とす。
呪詛に近い心でも真実、本音でしかないもの。
雨音に遮られるが故にどこにも届きはしない。
サガは気にもしない。
最も煩わしく感じる海を前に宣言することに意味があった。
自身に言い聞かせているわけではない。
自分にとっての事実を言葉にしているだけ。
今日は二人の誕生日だから。
変わらない、変えない日。
昔のように思っていたとしても、誰にも文句は言わせない日。
自分とカノンだけの日。
苛立ちも悲しみも憎しみも全て流してしまっていい。
必要なのは愛情だけ。
留まることない激情だけ。
どれほど雨に打たれても、ゆだった頭が戻らないほどに強い想い。

自分がこれほどに想っているのだから、カノンだって想ってくれている。
サガはそう確信している。
覚えている約束を証として。

サガは立ち上がる。
ついた泥を払いもしない。
元より止まない雨の中。払ったところで汚れが増すだけ。
鼻歌でも歌いそうな心境で空の雫を受け止める海に背を向ける。

「カノン」

一言そう呟くだけで胸の中が温かくなる。
カノンが好きだった歌をカノンのために歌いたくなる。
今日が幸せだという証明。

「ちゃんと、覚えている」

額にはりついた髪をかき上げる。
サガは笑いながら歌うような軽やかさで在りし日の言葉を繰り返す。
それはカノン以外には理解できないであろう呟き。
だからこそ、意味を持った。
うんざりするような雨ですら祝福のための恵みだと思える。

サガは歩き出すが、踏み占める足の裏に感覚はない。
体重を極力乗せない歩き方。
カノンがしていた歩き方。
水を含んだ土の上では上手くはいかないけれど、溝のようにわずかに残った筋を誰も足跡とは思うまい。
どちらにしろ、雨が洗い流してしまう。
カノンはそれが好きだったのかもしれない。
聞けないままだったから、雨にカノンが何を思っていたかは分かりはしない。
曖昧だったけれども、お互い確かなことはあった。
それだけは揺るがない。
離れ過ぎて、たとえ顔すら声すらおぼろげになったとしても、
積み重ねた当たり前は、崩れない。
永劫を思わせるほどの時が流れても褪せることのない想い。
それを確認して、確信できることが、唯一の楽しみ。一年に一回の祝福の幸福。
雨雲は雷鳴を伴っていたが、その程度で動じるような心は持ち合わせていない。
どこか、遠く。悲鳴じみた呼び声。
罪悪感はないが、声の方を目指して歩くことにする。
もう呼ぶ必要のない名前を連呼する行為を叱らなければならない。
サガはふとふと気が付いたように色々な違和感に得心がいった。
人に自分の名を呼ばれても違和感があった。
カノンが呼ぶからサガだった。
他の誰かが呼ぶのならただの識別するための名称。
番号で呼ばれても、なんら変わらない。感慨もない。
カノンが「サガ」と呼ぶのなら、サガはサガ以外にはなれはしない。
サガにとってカノンの言葉は特別な意味を孕む。
世界そのものであるといっていい。
カノンにとってサガの存在がそうであるように。
別離にある今ですら、変わらない、変えようのない事実。

約束事として、今年もまた祝いの言葉を届かぬカノンに贈る。
不毛な行為と誰かに笑われたとしても、サガは止めることはないだろう。

「誕生日、おめでとう。カノン」
「……サガも、おめでとう」

気まぐれに自分も付け足してみる。
カノンの声で聞いてみたいと思った。
カノンに言って欲しいと微笑みながら思う。
そこには切実な悲しみは存在しない。
胸を裂くような寂しさはない。
そうなったなら素敵だとサガは幼い子供の夢想のように思った。
晴れ晴れとした心は頭上の雨雲ごときでは曇らせることは敵わない。



2006/06/16

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あとがき

珍しいので大変怖い、テンション高いサガ。
こんなにご機嫌なのは誕生日だからというのだけではなかったりしますが割愛。

サガをカノンがサガと呼ぶからサガなのです。(逆もまた然り)

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