[おとぎ話]10のお題:毒リンゴ、禁断の果実



綺麗に剥かれた林檎。
赤い、鮮やかで目に痛かった皮は欠片も残らず消えていた。
全ては淡い黄色。芯すらない。

それは次第に傷んでいく。
茶色に変色していく。
空気に触れて酸化していく。
赤い血が茶褐色に変容していくように。


綺麗にくし型にカットされた、8等分の林檎。
サガは添えられたフォークを無視して手で掴みあげる。
自分のために剥かれた林檎。
茶色く変色した林檎。
自分達の関係を示唆でもしているのか。
喉の奥で笑う。
虚しい笑いだ。

白から黒へ移り変わる自分を全てが本物だと言った顔を覚えている。
泣くような縋るような、その全てを諦めたような顔だった。
呼べない名前を呟く代わりに林檎を口に入れる。
サガのために剥かれ用意された林檎、それだけがここにある存在の証明だった。

これが毒林檎であったならと願わずにはいられない。
アダムとイヴは知恵の実ではなく、毒を体内に入れたのだ。
知らなくていいことを知ってしまうと言うことは結局はそういうことになるのだろう。
林檎という媒体でもって、オブラートに本質を隠してしまう。
例えば何が一番悪かった、どこが一番問題であるのか、という最重要なことですら、曖昧。


「……サガ」

振り向く。
自分の黒い髪とは違ったライ麦畑を思わせる金色の髪。邪魔にでもなったのか頭の上でまとめている。
気配で来ていたのは知っていた。
だからこそ、今のサガを否定するもう一人のサガが食べずに変色させた林檎を口に入れる気になったのだ。
振り向けばそこにカノンがいることは決まりきっていた。
それでもサガはカノンが声をかけてくれるまで振り向かなかった。
怯えと依存と絶対の信頼。
声をかけてくれると信じていた。
だとしても、万が一でも、否定が存在したらやっていけない。
自分は支えもなく容易く瓦解するとサガは冷静に己を見た。
それはカノンが感じているものと同じなのだろう。
だが、感覚の共有とはいかない。あくまで別々の肉体、違った立場でしかない。
サガにカノンの痛みは分からない。
昔であったなら手に取るように分かったことも、どちらのサガであっても今では中途半端になった。
アイオロスの方がよっぽど上手くやっていると苦々しく思う。

「久し振り」
「うん。……久しぶり」

他人のような挨拶。
けれど、空気は世界は違う。
カノン以外の誰かと今の自分も含めてサガはこんなに心を許すことはありえない。
決まりきった公式。
カノン以外はカノン以外という枠でしか分類されない。

「大丈夫か」
「基準がわからないけど……多分」

サガがふた切れ残った林檎に視線を戻すとカノンは隣に座った。
この距離が心地いいと認識しているのはいつだってサガだというのにどうしてこんなことになるのだろうか。

「不味くないか?」
「味は変わらないだろう」
「そうでもないと、思うんだけどなぁ」

変色した林檎を口にするサガにカノンが表情を崩す。
視覚効果として大部分が茶色に変色した林檎に食欲が得られるわけがない。
それとこれとは別問題だ。
カノンがサガを思って剥いた林檎ならばどんな形状になろうとも今のサガが気に入らないはずがない。

「ちゃんと食べてるか?」

カノンの言葉に身体が震える。
関連記憶として引き出されたのか自分以外の自分の記憶が甦る。

「……分かっているのだろう」

食べる気がないのか食べたくないのか、生の果物を少し食べるだけの生活。
聖職者にでもなるつもりなのか。考え方だけならば行き過ぎて清教徒という言葉すら生ぬるい。
心配して食事を作ってくれるカノンの好意を無にする自分。
記憶の濁流から少し掬い上げるように垣間見る現実。
罵倒、皿の砕ける音、扉の閉まる音、残るは自分の慟哭。
荒れ果てた部屋を自動的に黙々と片付ける自分に気分が悪くなり目を閉じる。

「お前は食べてたから」
「あぁ、腹は減っている。空腹を感じない訳ではない」

サガの言葉に「そうだよな」カノンは溜め息を吐く。
愚かだとサガに対して思っているのだろう。それは今の自分も同じことだ。
あのサガはどこまでも賢者を演じようとする愚者だ。
聖者になりたかった罪人。
落ちてしまっているのだから、這い上がろうと努力するのならばともかく、
変えようのないその事実をなかったことにしたいと考えるなんて、愚行甚だしい。
奈落を楽園だと勘違いなどできるはずがない。
それをもっと理解しておくべきだというのに、肝心なところであのサガは目を閉じる。

「何か作ろうか?」
「いや、多分身体が受け付けないだろう」
「そっか、そうだよな」

カノンの表情が曇る。
せめて、今は。自分の前ではそんな顔をして欲しくはない。
シャリというよりはグニャリとした林檎の食感。
常温である果肉は口内に不快感を与える。
咀嚼し飲みこんでいく。
言葉も一緒に飲み下していく。
最後のひと切れを口に入れる。

「果物はまだ、食べるんだよな」

カノンは恨めしげに林檎を食べるサガを見る。
果物を食べる最大の理由は未調理で食せるためだとカノンは知らない。
サガもあえては言わない。
もう一人にとってカノンの気遣いが無用なものだとしても、今のサガには何よりも必要なものだからだ。

最後のひと切れを飲みこみ、ふと名案とも迷案ともいえない考えが浮かぶ。
こちらを見るカノンの頭を掴み引き寄せる。
歯と歯をぶつけないように力加減をしゆっくりと唇を奪う。
舌と舌が別の生き物のように絡まり合い刺激し合う。
カノンは展開についていけないのか、無意識に後ずさるように後ろに体重を傾ける。
頭を固定させていた手を背中にスライドさせる。
顔同士だけではなく身体も正面同士で向き合う。
この姿が鏡に映っていたのなら悪魔が天使をかどわかしているように見えるのだろう。
名残惜しいが唇を離す。口の中にはもう林檎の味はしない。
紅潮する頬。瞑られた瞳。近すぎる距離によりサガの黒の髪と混じりあった金色。
そして、ゆるゆると開かれる瞳と同時にカノンは口を開く。

「……りんご」

唇を押さえるようにして、サガを直視するカノン。
サガが背中に回した手はまだ外されてはいない。

「罪の味というヤツだ」

笑うサガに羞恥に染まった顔をどうにか呆れ顔に変えようとするカノン。
カノンの肩口に甘えるようにサガは顔を埋める。
深く息を吸い込む。
黒髪のサガがよくやる行動なのだが、どんな意味があるのかはカノンには分からない。
それで安らぐことができるのならとカノンはサガをそのままにしている。
肩に顔を埋めたままの体制でサガは「罪の味か……」と一人ごちた。

「毒りんごならよかったか?」

カノンの言葉に「どうだろうな」とサガは布越しのくぐもった声で返した。
本当のことなんて何一つまだ決められはしない。
それは確かに間違いではないのだと二人とも何も言わずに理解した。
まだ、嘘とも本当とも答えは出ていない。
嘘でも本当でもそれは端から端にある別物ではなく表裏一体の同じもの。
そうなのではないのかと、曖昧な形ではなく、
そうなのだと、今のサガだけは断言できた。
曖昧な自我に踊らされている自分だからこそ「同じもの」だと自分は言える。


楽園を追われても、二人でいられるのならば構わないだろう。
アダムとイヴがどう思っていたかは関係ない。
ここに今生きている私達は間違いなくそう感じているのだから。
遠い神さまではなく、近くの唯一の人に全てを捧げよう。
何よりも大切なのは自分にとってたった一人だけなのだから。

それは鏡を罵る自分も同じはずだろうにとサガは深い溜め息を吐いた。
カノンはただ黙ってサガを抱きしめた。


2006/03/09

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あとがき

[おとぎ話]10のお題はバラバラに消化していこうと思います。
大体、幼少期ぐらいのお話になるとは思います。暗いのが多いので。

今回のはラブラブ話だったのですが、そうでもない?いや、充分?
ともかく、殺伐とした中の救世主黒髪サガ。
和むとまではいかなくても、殺伐分60%カット。
サガが落ち込むとカノンが助け、カノンが落ち込むとサガが助ける、そんな基本設定の前者バージョンのお話がこれ。


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