『お前ってかわいそうだよな』

どんな台詞だとシュラは内心呆れ返った。
サガと同じ顔なのにその台詞がとてもらしく響いた。
カノンと言う個人を知らないのにそう感じた。
錯覚だと即座に否定した。
その時は、まだ。



どれほど灰色に汚れても



自分の宮へ戻ろうとカミュと雑談を切り上げ、宝瓶宮を出て階段を下る。
目の前には同じく階段を下りている者がいた。
宝瓶宮を誰かが通り過ぎた気配などなかったようにシュラは思う。
強烈な印象を伴うはずなのにどこか希薄に感じる気配。
けれど、視界に映ってしまった蒼を見なかったことには出来るはずがない。
サガが着そうにないラフな服装のサガと同じ造形の人間。

「よぉ」

カノンは振り返り片手をあげてシュラに挨拶をして来た。
軽く頷き答える。
苦手意識がなくもない。
シュラにはカノンの第一印象は存在していない。
サガ越しのカノンしか知りはしないし、面と向かって一対一で会うのはこれが実質二度目。
一度目に投げかけられた言葉はまだ胸の中で巣食っている。
どうして哀れまなければならないのかシュラは分からない。
人伝に聞いたカノンの過去の方が陰惨だ。
だとしても、聖域を責めたいという感情はない。
仕方がないものは何処にだって存在する。
それ以外の選択が聖域に存在しなかったのならば、認めた上で守るしかない。

「コレ、食うか?」

長方形の木の箱に入った何かをカノンは掲げる。
シュラが黙っていると「やる」と押しつけられた。
よく見ると包装紙には日本語が書かれている。
カノンが下っていることを考えると、上に居た訳だから女神からの贈り物なのではないだろうか。

「どうしたんだ、これは」

少々キツイ口調でシュラは尋ねる。
女神が与えてくださった物を適当に放り捨てるなどシュラとしては言語道断だった。

「ヨウカン。……結構高いヤツ?」

とぼけた答えだった。
シュラは「女神から頂いたのか?」と尋ね直す。
薄く目を細めてカノンは笑う。
サガならば髪の色が変わっていてもしないような表情である。
何処か見下すような哀れむような納得がいっているような、なんとも言葉に出来ない顔。

「だから、お前にやると言っているんだ。女神がわざわざ買ってくださった物を捨てはすまい?」

嘲笑うかのような言葉にシュラは苛立つ。
自分が貰ったものだろうに、どうしてこんなことが言えるのだろうか。
「じゃあな」と前へ向き直り去ろうとするので思わず呼び止める。
人と関わろうとはしないヤツだとミロは拗ねていた。
アフロディーテは興味を持っていて、デスマスクは面白いと言っていた。
シュラはまだカノンとそれ程、接触がなかった。
だから、こんな風に自分から言葉を掛けるとは思わなかった。

「時間があるのなら、磨羯宮へ寄って行け」



誘ったものの次がない。
ちょうど女神から頂いた緑茶を出す。

「淹れ方間違ってるぞ」
「そうなのか?」

人のソファーでこれ以上になくくつろぐカノンに驚きながら、
シュラは女神に茶葉と一緒に頂いた急須で不器用に茶を淹れていた。
カノンは桐の箱から羊羹を取り出しシュラが用意した皿にぺティナイフでさっさと切り分けていた。
横目でシュラの様子を見ているとは思わなかったので二重にカノンの言葉は意外だった。

「それ、紅茶の淹れ方」

カノンはそう言いながら薄く切った羊羹をつまむ。
内心驚きながらシュラはフォークを差し出す。使わなかったが。

「アフロディーテにでも覚えさせられたのかもしれないが、日本茶はそう熱湯にこだわらんでも飲める」

急須を奪いカノンは勝手にお茶を注ぎ口の中をゆすぐように熱い液体を飲み干す。
シュラはついていけないものの残りを自分の湯飲みに注ぐ。
急須とお揃いの湯飲みを女神はくれたのだ。

「玉露は60度ぐらいの湯で淹れるのが甘くなるコツ。オレは渋くて良いけどな」

カノンにより切られた正方形の羊羹を口に運びながらシュラは意外な知識を持つカノンに疑問を持つ。
「二番茶もらうな」とカノンが急須とヤカンに手をかける。
構わなかったので見ているままにした。
すぐには注がず待っているので、こういうのが正式なものなのかとシュラは聞いた。
カノンは苦笑いで「渋いのが飲みたいだけだ」と答えた。
二杯目を飲みながらシュラのために羊羹を切るものの自分は一向に食べない。
カノンは羊羹が嫌いなのだろうか。
それならば、誘いには乗らなければいい。
全く思考が理解出来ない。

「嫌いなのか?」
「すごい駄目ってほどじゃない。オレ以外の奴の方がうまいと思って食べるだろうな」
「どうして誘いに乗った?」

自分で誘っておいて言えた義理ではないのだがシュラは真っ向から尋ねた。
そういうのが美点であり短所だとアフロディーテには言われた。

「女神から頂いた物を一口も食べないわけにはいかないだろうってお前も思ったから茶に誘ったんだろ?」

出ている答えに今更どうしたと言いたげなカノン。
一口齧って渡すわけにもいかないから、一緒に食べるのが一番いい。
とはいえ、カノンから切り出すほどシュラとは仲が良くない。
シュラから誘うのならば、そういった気後れはなくなる。
カノンはその構図をシュラが理解している上で誘ったのだと思ったのだろう。
シュラはただ女神から頂いた物を本人が食べないということ自体に微かな怒りを覚え、衝動的にこの流れになったのだ。
過程も結果もは同じこと。意識したか無意識か、その違い。

「だが、嫌いならば……」
「多少苦手だが、お前がそんなことを言うとはな」

おかしそうにカノンはシュラを見る。
シュラは息が止まりそうになる。
何処か見透かしたようなカノンの顔。

「あまり心にもないこと言うなよ。
 苦手だろうが嫌いだろうが『女神がくれた物』なら喜んで受け取るべき、だろう?」

カノンの言う通り確かにシュラはそう思っている。
それを他人に押しつけようとは思っていない。自分に課しているだけだ。
女神が与える全てを受け入れたいとシュラは考えている。
カノンも同じ考えであるらしい。海皇に仕えているのに。

「喜んで受け取り、始末に困り他人に譲渡か」

冷たくシュラは皮肉で返す。

「女神からの物は嬉しくないか?」

カノンは底が見えない笑いを見せる。
人を食ったような顔。
見知らぬ顔。
もう一人のサガと似ていると言えば似ているのかも知れないが、決定的に違っている。
何処が、とは言い当てれない歯がゆさに気分が悪い。

「喜ぶかなーと思ったから、やったんだけど。逆効果か」
「いや」

首を振る。
羊羹は美味でカノンの存在さえなければ心は和んだ。
シュラは苛立つ存在を何故か引き止めるように会話をしている自分に気付く。

「疲れてるだろ。糖分は摂っとけ」
「何故、俺が疲れていると思う?」

シュラは真正面からカノンを見据える。
カノンも答えるようにシュラを睨むように見る。
その瞳の色はサガと同じに見えて全く別物にしか感じられない。
サガは人をこんな風には見ない。
温かく少し遠いものを見るように昔のサガは何かを見ていた。
今も何処か地に足がついていないように見える。
隣にカノンが居る時はこれ以上になく生き生きとしてるものの、
一人の時は気が抜けているように不安定に見える。
アイオロスは「まだ不安なんだ」とそんなサガの様子に微笑ましいものを見るように笑った。
シュラにはその感情が分からない。
それが見てきたものの違いだろうか。

「自分の感情の置き場が分からないだろ」

それは断定だった。
カノンは裁判官のように絶対的にシュラに告げる。
曖昧に遠慮がちな他の者の言葉よりも真摯に胸にくる。

「そんな状態、疲れるに決まってる」

何処かカノンは温度のない言葉を紡ぎながら怒っているようでもあった。
シュラにではない。
何に対してかはカノンを知らないシュラには分からない。

「だから、哀れむのか?」
「――お前が一番かわいそうだ」

カノンの言葉は理解が出来ない。
尋ねようとして言葉が出ない。
震える唇を隠すように口を噤む。
サガと違っていたけれどカノンが浮かべた笑みはとても優しかった。 
子供の成長を眺めるような顔にも見える。
シュラは今、自分がどんな顔をしているかは想像したくはなかった。

「あのゴタゴタ、サガは明確にロスに許してもらってる」

ごたごたとは13年前のことだろう。
アイオロスを愛称で呼ぶことは知ってはいたが、やはり違和感は付きまとう。

「俺も」
「曖昧に許されている?」

二の句が継げない。
シュラは黙り込む。

「お前を利用したサガに対しても13年間手足になってやってたんだから今更恨みも何も言えたものじゃない」

自分の心を暴かれているという感覚はない。
言いたくて言えないこと、思っているものの言葉にならないものをカノンが口に出しているだけ。
それだけ。
気分が悪いどころかむしろ清々しい。

「どうしていいのか、分からない。けれど、歩き続ける。
 責めることも恨むことも、愛することも許すことも中途半端」

何故なら全てが間違っているから。
責めることも恨むことも愛することも許すことも筋違い。

「中心にいるのに主要になりそこねた。……アイツ等は勝手に完結してて楽だが、お前はそうはいかない。
 けれど、抱えたモヤモヤを中途半端さを吐き出すことは出来ない」

そんなことをすれば台無しになってしまう。
終わったことを蒸し返してもなんにもならない。
それでいいとシュラは思う。
だというのに、出口の見えない答えのない何かが心の底にある。

「お前だって、真っ白でいたかったんだ。
 ……全てを水に流すことによってサガはリセットした気になってるんだろうが、そんなんサガだけだ」

カノンが思う程、サガは割り切れてはいないがシュラは改めて教えるものではないだろうと口を閉ざす。

「どれだけ灰色に汚れても、中途半端に生きてかなきゃならない。
 そんなお前を誰も知らないから、きっとシュラが一番かわいそうだ」

何故カノンに言われなければならないのかと反発はない。
初めからなかった。
強烈に焼きついた台詞に理由は求めたが否定や嫌悪はなかった。
自己憐憫が湧いたのではない。
カノンが言いたい、伝えたいことが理解できていたから。
けれど、それはカノンを知らないでい過ぎたから勘違いだと濁したのだ。
造形に目を向け過ぎてカノンという個人に初めから触れていたというのに取り逃がしていた。

「……灰色」
「汚れきって真っ黒にはなれないんだ。もっと根っからの悪役気質なら良かったのにな」

カノンは笑う。
子供のように邪気のない笑み。
悪戯を肯定するように、現実を事実を失敗を笑い飛ばす。
そんなことでどうにかなる訳ではないのに、シュラは心が解けてゆくのを感じた。

切って置かれた羊羹を食べる。
女神の優しさに触れている気がした。
カノンが女神からの羊羹を持ち目の前にいるのは偶然ではない気がしたが、それは穿ち過ぎだろう。
ただ、羊羹をくれたカノンに感謝することにする。
こんな心持ちも大切なのだ。

「肩肘張ってると仕事が増えるだけだからな、気楽にいけ」

笑っていた先程よりも年長者らしい表情でカノンは言った。
含蓄があるんだかないんだか解らない。
素直にシュラは頷いた。
そうそう出来はしないだろうが、カノンの言葉は正しいと思った。

どれほど灰色に汚れたところで、その汚れをシュラは否定出来ない。
自分の積み重ねだ。
中途半端な立ち位置でも足掻くのではなく、それで良いと思っていればいい。
シュラはカノンのことが少しだけ理解できた気がした。
カノンもそんな場所にいるのだろう。
責めることも恨むことも愛することも許すことも出来ない。
あるいはされない。

曖昧に生温かい空間。
居心地が良いが時折息苦しくなってしまう。
責められた方が楽だと感じてしまう。
利用されたことに何もこだわっていないと言いたい。
けれど、それは筋違い。

すでに世界は流れに流れ切って、過去は掘り起こすものではない。
恨み言を言うには昇華し過ぎてしまった。
愛される分だけの愛を今はまだ上手く返せない。

「不器用なのか」
「知らなかったのか?まぁ、そんなお前だから愛されてるんだ」

カノンに対してこぼれ出た言葉だったが当人には違って響いたらしい。
当然と言えば当然。あくまでシュラとカノンは他人なのだから以心伝心なんてない。
とはいえ、カノンは訳の解らないことを言う。
こういう人間なのだろう。
理路整然と話すのではない。
どこか感覚的なのだ。

「その不器用さは見てて微笑ましいからな。実直なのは仮面じゃないなら美点だろ。
 ロスがお前に甘いのを考えれば分かるだろ?」
「甘いのか?」
「大甘だ。お前の手が血に染まり女神が血だらけで横たわっていても、絶対に容疑者に入らん」

どんな例えだと思いながらもカノンの言葉の続きを待つ。

「オレでも犯人はアリバイがあろうともサガだと思うな」
「それはないだろう」
「言い切れない。あるかもしれないじゃないか。ロスもアリバイがあっても疑うだろうな。前科者だし」
「……それを言ったら」
「シュラはその点、確実にあり得ないって言いきれる。黄金聖闘士、全員一致だろうな」

カノンはシュラの言葉を遮り言う。
否定したい訳ではないが過大評価だとシュラは思う。

「これが愛されているってことだ」
「信頼、ということか」
「あぁ。そうだな。……重たいが応えたいだろう」
「そうだな」

シュラは笑って答えた。
意外そうにカノンはふと笑い、濁すようにお茶を飲み干した。
なんだかんだで見てみると桐の箱に2本入っていた羊羹はまるまる1本消えていた。
初めて食べる馴染みのない物だったがシュラは美味しいと感じた。
それは女神が選んだものだからか、それともこの空間が予想外に居心地が良かったからか。
答えは大分先まで保留。


「今日、泊まってっていいか?」

とはいえ、カノンのテンポには未だにシュラはついていけない。
この言葉を聞いて出来たことは目を見開くことだけだった。





2006/09/30

海界top



あとがき

カノン唐突。
シュラもまだ慣れていないので扱いに困る。

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