単調な日常の一幕で訪れる出会い





はじめまして

その日カノンは、サガと共にシオンに五老峰というところに連れて行かれた。
「お前は、誰にも存在を知られるな」とかなんとか。
こっちが嫌になるほど言っておいて爺さんに知られるのはいいのか。
何処にも行くなと言っておいて、気軽に連れ出すのかとカノンは色々うんざりとしていた。
シオンに関わり良いことなどなかった。
含ませたどこか当てつけられるような嫌味がどうにも気分が悪い。
理由が解らないが、解ったところできっと待遇は変わりはしないのだから、どうでもいい。
お互いが嫌い合い関わりたくないと思っているのだから、近寄ってこないで欲しいとカノンは思った。



シオンはカノンを呼び指し「これがカノン」、サガの頭を撫で「サガだ」と紹介した。
そんなことはどうでもいい。
早くこの時間が終わらないものかとカノンは考えた。
それから旧知の仲らしい二人は盛り上がっているんだかいないんだかの会話をしていた。
サガは動かずただシオンの隣に居る。
口を挟むわけでもなく、借りてきた猫のような大人しさ。
カノンとしては暇なので滝壷にでも落ちてしまいたい欲求を堪えながら、間近に流れる滝を見ていた。
涼しいし、いい場所だ。滝音も苦にならない。
老人、結構いい生活をしている。



「カノン、帰るよ」
「あぁ」

サガが促すので頷き、ついて行く。
と、怒られた。
挨拶をしろというのだ。

「さようなら、老師」
「カノンよ、いつでもまた来るが良い」
「人の話を聞いていなかったのか、童虎よ」
「聞いていたさ、シオン。だが、それとこれとは関係なかろう」
「影の一人歩きが許されるはずがない」

ぴくりとサガの身体が震える。
言葉を考えない老人だ。
それとも知らしめるためなのか。
言われなくても理解し終わっているというのに、念入りだ。
サガの前で言わなくてもいいだろうに。

カノンが冷めた眼差しをシオンに送っているのを感じたのか、即座にカノンの上に鉄拳がきた。
拳が見えもしなかったのが悔しい。
目の前の老師と同年代であろう老いた教皇のくせに。

「シオンよ、わしはカノンに言ったのじゃ」
「……老師、ありがたいお言葉ですがシオン様の言う通り、もうここに訪れることはないかと思います」

答えたのはサガだった。
老師はこれ以上の言い合いは無駄でしかないと気が付いたのか、溜め息をつくように肩をすくめる。
流石、長生きというべきか理解が早い。
正直、これ以上突っつかれてはたまらない。
教皇は変に沸点低いし。
それにつられてサガも硬い。

カノンと老師の出会いは皮肉というべきか、カノンを閉じ込めていたシオンのお陰だった。




お久しぶりです

どうやって声を掛けようかと少しだけ迷っていると「来たか」と声が掛けられた。
振り向きもせずに小宇宙も気配も消したカノンを察知したらしい。
老師にだけは勝てる気がしない。
未だ現役である教皇よりも凄いのではないだろうか。
カノンはそんな思考はともかくとして、手招きする老師に破顔し近づいた。
隣に座ることを勧められ、戸惑いながら腰を下ろす。
そうするとカノンの方が心持ち視線が高いぐらいで殆ど同じ風景が見れる。

「お久しぶりです、老師。挨拶が遅れてすみません」

カノンの言葉に老師は笑いで答えた。
食えない人だとの印象がカノンは拭えない。
けれどそれに嫌悪ではなく、好感が持てた。
だからこそ、また来て良いという言葉を真に受けることが出来たのだ。


それから、二人は話をした。
まずはカノンがどうして此処へ来れたのか。
ちょっと任務があったのだとぼかしながらも現状を話す。
老師は静かに聞いていた。
時折相槌と手厳しい言葉でもってシオンを皮肉った。
カノンがどうして、そういった待遇を受けねばならぬのかも知った上で老師はあくまで優しかった。
苦しみばかりが増えた世界で温かすぎるぬくもりだった。

「ずっと、ここにいるのですか?」
「そうじゃ。アレを監視しておる。それが役目じゃ」

老師が指差すものをカノンはしげしげと眺め、首を傾げた。
何なのかは分からない。

「ずっと?」
「あぁ。雨の日も風の日もこの場を動くことなく、ハーデスの魔星に動きがあるまで、ずうぅっとじゃ」

カノンは悲しくなった。
初めはこんなところに住めてよいと思った。
自分の生活に比べれば羨ましい限りだと思った。
けれど、随分とその暮らしは悲しいのではないだろうか。
ここには話し相手もいない。
自分にはサガがいる。
やることは制限されているが、それでも独りではない。

「聖戦はまだなのに」
「不測の事態はいつでも起こる。わしはそうさせない為であり、そうなっても対処する為の監視じゃ」

朗らかに老師は笑った。
生きることに飽きはしないのだろうかとカノンは思った。
聞くことは出来なかった。
淋しくないのかなど聞けない。

なんてことない顔をして「仕方がないことだと」笑う老師は伊達に年をとっているわけではないのだとカノンは思った。
それに比べれば、自分の在り方は余りにも小さいとカノンは目を閉じる。
鳴り止むことのない滝音。
水の感触。

「また、いつでも来ると良い」

聖域も教皇も好きではなかったけれど、老師は好きだと滝音を聞きながら思った。




どうしよう

ばっしゃん!
落下の感触。
激しい水音。
不覚にも足がつかずに少しもがく。


「カノン?」

いぶかしげな老師の声。
それに反応すら出来ない。

「あー、がはっ……出るトコ間違えた」
「ふぉっふぉふぉ。お前ほどの男が、こんな初歩的な失敗をするとはな。何を焦っておるのじゃ」

老師の言葉に気恥ずかしくなりながら、それどころではなかった。
心はとても急いていた。
一足飛びで老師のもとまで駆け上がり、上着を脱いで絞る。髪の毛が重い。
いつも通りに定位置、老師の隣に座る。

「ほれ、ちゃんと拭くんじゃ」
「……ありがとうございます」

手渡されるタオルに温かいものを感じる。これはカノンのためのものだ。
老師のところに訪れる者は限られている。
シオンが顔見せとして黄金聖闘士になった者は全員連れて来ているらしいが、それだけ。
他は誰も来はしない。
元より、待ってもいないだろう。
あくまで厳格な人だ。
自分の個人的感情よりも与えられた任務を優先する。
自身の淋しさは二の次以下だろう。

「カノンよ、どうしたのだ?」
「実は……」

この前というか、今先の大事件。
自分個人としては生まれて何度目かのピンチ。失態。
気の緩みとは恐ろしい。
自分の存在が人に知れてしまった。

「射手座……アイオロスか」
「知っておられるんですか?」
「うむ、アレなら問題あるまい」
「しかし」
「シオンには知られておらんのだろう」
「……射手座が口を滑らせていなければ」
「平気じゃ、気が利く者だ。事情を話せば胸に仕舞って置いてくれるだろうさ」
「そう、ですか?」
「うむ。カノンや、お前にとって良い友となろう」

納得できないと不満顔を隠さないと老師がタオルをとった。
やや荒々しい手つきでカノンの髪を拭く老師。
困りながらも照れくさくはあったがカノンはされるがままに受け入れた。

これからのことは不安で仕方がなかったが、老師が平気だというのなら平気だろうとも思った。




なんか、この頃

人恋しさか、懺悔のためか。
血塗れの身で人に縋るのなんておこがましい。
けれども、もう半身とすら上手く言葉を交わせないから。
それでも誰かと話したくて、誰かの隣に居たくて。
そんな時は会いに行く。こんな時こそ会いに行く。動くことのない老人に。


水の香り。
纏わりつく水分。
滝の音。

カノンの出現に気付いた老師が「よく来た」と笑う。
考えれば自分は定期的に来ていると内心でカノンは笑う。

「この頃、滝から出てくるのぉ」
「……あぁ、まぁ、はい」

誤魔化すように笑う。
老師には誤魔化しは通用しないだろうが、触れて欲しくないというポーズになる。
思ったとおり老師はそれ以上追求はしてこなかった。
優しさなのか放任なのか、分かりようはない。

「今日の月は格別に綺麗じゃ」
「そう、ですか……?」

まぁ、老師が言うならそうかなと隣に座って一緒に月を見る。
かすむ朧月ではなく、くっきりと柔らかな金色の色。
綺麗、そう言われれば確かにそうだ。

「だが、今日という日は今日しかない。同じ月は見えぬのだ」

遠く、慈しむような眼差し。
身体の力が抜ける。
自然な心で、肩肘張らずに「あぁ、そうだ」と頷ける。
老師の言葉はカノンの中に自然に落ちる。
優しく心を包んでくれる。

「そうだな、時々はじっくりと見るのもの良い」
「ルナティックになりはしませんか?」
「心弱ければ月にかどわかされるやもな」


どうだろうか。
案外今日あたりは月に当てられたのかもしれない。
吐き出す言葉は弱音だった。
懺悔は出来ない。
罪はない。罰はない。良心だって痛んでない。

「うまく、いかないんです」
「兄と喧嘩したか?」
「いいえ。……すれ違って、戻れない気もします」

サガがカノンを責める理由も不安も分かりはする。
けれど、それでも。

「水が、海が好きなことは悪いことではあるまい」
「――ありがとうございます」

老師は厳しく優しい。そう肯定してくれるからまだ耐えられる。
世界全てがまるで自分の存在を間違っているというそれを打ち崩してくれる。

「また来るが良い」
「はい、かならず」

頭を下げ、滝を浴びて息苦しい聖域に帰る。
滝の水飛沫で水面に映った月が歪んでいた。




つい

久しぶりに五老峰にカノンは向かった。
その途中、珍しいものを見つけた。
勘違いかと通り過ぎようとしたら、それは突如甲高く泣いた。まるで見捨てないでくれというように。
カノンは反射的に赤ん坊の泣き声に手を伸ばし、抱き上げてしまった。


久しぶりだと声を掛けようとしたのだろう老師が口を半開きにして固まった。
何にも動じない老人を揺り動かすことが出来たのは少しだけ気分が良かった。

「私の子どもではないですよ」
「ふむ、そうか」
「残念そうですが?」
「約束を果たしに来たのかと思うてのぉ」

以前、子供の命名をしたいと冗談めかしに老師が言うから、
子供が生まれたらすぐに見せに来ると言ったものだ。
そして、名前を決めてくれと。
覚えているとは思っていなかったなんでもない会話。
老師はちゃんと記憶していたらしい。
なんとなくカノンは嬉しい気持ちになりながら、老師に赤子を差し出す。
老師が抱き上げると赤子は笑いながら老師の顔を叩く。
カノンが手を差し伸べると嬉しそうにカノンの手を握って遊んだ。

「捨てられていたようです」
「そうか」

老師はなんともいえない表情で自分の手の中の子を見下ろす。
カノンは視線を少しそらせ「申し訳ありません」と口にした。

「何を謝る」
「つい抱き上げて、ここまで連れてきてしまいました」

老師は笑う。
何も気にすることはないと言いたげに。
どこまでも寛容な心のように、カノンの小さな悩みを一蹴するように。

「もう、ここに来れるのは最後かもしれません」
「置き土産か……それも良かろう」

老師は静かに頷くと赤子の頭を撫でた。
そして続いた老師の言葉にカノンは驚いた。

「わしが育てよう」

その言葉にカノンが「出来ますか?」と言えば、「舐めるでない」と老師に笑って返される。



カノンが拾った赤ん坊は女の子だった。
そして問題は名前。
老師が頭をひねり時はすでに夜。夕暮れはとっくに過ぎ去ってしまった。
時間がないわけではないのでカノンは急かさない。
これが本当に最後だろうと思ったからだ。
もう、こんな機会は持てない。
目の前の赤子が大きくなった姿を見ることもなく自分は死ぬか消えるのだろう。
立ち込める不穏な気配。
秒読みの感覚。
それから逃げることは叶わない。

「春、ですから」

カノンがそう口に出すと今まで悩んでいたことが嘘のように老師は手を打ち言った。

「ふむ。春麗と名付けるかの」

即決だった。
カノンも口の中で反復する。
字を書いて見せてもらう。
老師のおかげでカノンは母国語以外も多少の読み書きが出来る。
特に漢字は中国のものも日本のものも現地住民と同じ程度には出来るようになっている。

「きっと美人になりますね」

カノンは笑う。
久しぶりにちゃんと笑えた。
縋ることすら出来ない弱さは自分を追い詰めていった。
笑顔も泣き顔もこの頃は浮かばぬ表情だった。

「当然じゃ。カノンが拾い、わしが育てる。きっと良い婿も貰える」

気の早い話だったがカノンは笑って同意する。
どう成長するのか楽しみだった。
たとえ自分が見届けることがなくても。

置き土産に面倒臭いものを残すカノンに老師は最後まで優しい。
面倒などと思わないのだろう。
どこまでも厳格だが優しく広い心の老人は優しい女性に育ててくれるだろう。

「この子の結婚式の為にも聖戦には勝たねばならんな」

そういって笑う老師に和んだというのに涙が出そうだった。
「そうですね」と震える声でカノンは頷いた。
赤子はただカノンの手を離さなかった。
疲れて眠ってもずっと。








2007/01/21

海界top




あとがき

老師とカノン短編5連発。老師とカノンの関係性。


タイトルは散文から。