見切りのつけ方
どんどん全てが曖昧になっていくんだ。 例えるのならば、水彩画。 滲む絵の具は重ねるほどに醜くなる。 換えないでいた水は酷く濁って筆を汚す。 パレットには混ざり合って乾いた薄汚いものがこびり付いている。 どんなに頑張っても落ちない。 どれほど願っても滲みすぎたら戻らない。 新しく白い紙に描き直さないと。 どんどんと紙が汚れて滲んでそれがなんであるのかが分からなくなる。 悲しいほどにグダグダになった紙。 乾かせばなんとかなったかもしれないのに、濡れたそれを持ち上げて崩す。 残ったのは残骸にもならない。 廃棄物。 早く筆を置くことを覚えれば良かったんだ。 それには、灼熱がいる。
壊れた硝子細工は元に戻りはしないんだ。 もう一度溶かして新しく作り直さないと。 同じものが作れはしないとしても、壊れたままよりきっとマシ。 そう思って生きていた
きっと、世界はきれいなものなんだ。 君が思うより、綺麗なものなんだ。 永遠を共にできるほどに、美しいものなんだ。 引き金はいつだって
気付いていないようだけど、 全てはそっちから。 こっちからだってあったけど、 全てはそっち。 銃口を向けるのがこっちでも、 指示を出すのはそっち。 引き金はいつだってサガが引いていた。 メルヘン的思考回路。要は泥沼劇。
そんな押し付けがましい愛情なんていらないんだ。 盲目の王子。 死体愛好家の彼。 実の娘を求めた王さま。 無菌室で育てられたお姫様。 それは罪人の子であり、生け贄。 世界一の美貌の少女。 幼さゆえに容易く全てを踏みにじる。 一度は否定した父を求める娘。 獣の皮を被り、凍えて縋ったものは違ったものではないだろうか。 無垢と無知と愚者。 一時のぬくもりが必要か? 永劫の寒さに震えると知りながら。 一時の愉悦が必要か? いずれは老いる人の身だというのに。 一時の好奇心。 そうして彼女は世界の扉を開けた。 王子様がお姫様を手に入れました。 そうしたら、ハッピーエンド? 周りを見渡すと傷だらけの自分と他人が待っているのに。 愛しているから良いなんて、そんな愛情求めてない。 伝わらなくてネジくれた。 悲しくてもそれまでの泥沼。 今を諦めても何も掴めなくても、命が終わるわけじゃない。
在りし日の面影に縋って、泣いていれば楽だった。 どうしようもない程に、動けなくなった自分を哀れめばよかった。 積み木は崩れる。 不安定であれば尚のこと容易く。 パズルは崩れる。 組み立てるための遊戯だからこそ。 歩き出せないからって、死ぬわけじゃない。 禁断の果実って誰にとっての禁断?
知識を得るとそれまでとは別のものになるという。 あの人類の始めの人たちとか。 原罪とか。 ただ、閉じた目を開いただけじゃないか。 目隠しの外し方を教えてもらったんだ。 それが信頼を裏切ったのだとしても。 好奇心が猫を殺しても。 停滞を望むだなんて人間らしくない。 神の似姿だって個性がある。 違いを理解したら、自分から楽園を去るさ。 距離を、境界を知ってしまったのだから。 淋しく優しい神様は、結局一人遊びを続けるしかない。 さようなら……そう言えば楽になれるの?
泣き崩れて、縋り付いて、それでもまだ君が好き。 忘れないで、此処にいるから。
愛を呪縛と思うなら、それもいい。 心が邪魔だとしても、必要だから。 命をしがらみと感じても、捨てないで。 いつか君が、君だけのものとして生きるための全てだ。 この気持ちに名前はまだない[アイオロス]
透明な感情。 ふと、俯きがちになったカノンが、 唐突に「上手くいかないなぁ」とため息混じりに呟く。 表情に影が射すわけでもなく、 辛そうでも、悲しそうでもない。 思いをそのまま口にしたのだろう。 だから、こそ。 呼びかけるとカノンは笑って、 「まぁ、仕方がないか」と言った。 遣る瀬無さを感じない訳ではない。 けれど、それよりも強い感情がある。 惹きつけられる。 風に揺れる髪。 潮風とのユニゾン。 輝く肌と眩しい瞳。 驚くほど柔らかな声。 揺れる水面を波紋で荒らす。 胸に去来する想いに名前を付けることが、瑣末に感じる。 ふと顔を上げ、一筋の雨が流れるのを見てしまう。 全ての答えは、そんなカノンの前では枝葉末節。 手を引っ張られ一緒に激しいスコールから逃げた。 カノンもいじめっ子だと二人は思う。
――いじめっ子。 そう言われたら、 幼いサガは自分の行動に怯え、 ますますカノンに対していじめっ子。 現在は拍車がかかったいじめっ子。 ――いじめっ子。 そう言う時のカノンの拗ねた表情が好きで、 アイオロスはついつい本当にいじめてしまう。 嘘から出たまことって真実だとなんだか納得。 あれに包まれて、押し流されて、死ぬんだと思ったんだ。
優しい音。 いつだって、波音は優しかった。 今この時ですらまだ優しかった。 いつまでも優しかった。 包み込まれても苦しくなることはなかった。 むしろ、心は安らいだ。 始まりの日のように。 激しい質量に押し流されているはずなのに、たゆたう心地。 海は優しかった。 嘘も偽りも等価
偽りが真実なら、こんな悲しいことはない。 信じていた現実こそが嘘だったのだから。 とある死を纏う男の呟き
全て降りてしまえば楽なのに、そう思う。 不器用だとか……確かにその通りではあるけれど。 諦観を抱くのにまだ何処か期待している。 夢見ている。 縋っている。 痛ましいほどに。 泡から生まれた女神の名を持つ同僚は、だからこそ惹かれ。 伝説の剣の名を冠する肢体を持つ同僚は、だからこそ見捨てられず。 死者の仮面を飾りそれを名とする己は、それでも見なかったことにしたかった。 人の痛みに。 彼の痛みに。 触れたくなんてなかった。 あまりに黒く。 あまりに深く。 あまりにも赤裸々。 清浄な空気は毒された肺にはキレイ過ぎた。 100%の濃度の酸素は猛毒だ。 美しければ良いわけではない。 大切なのはバランス感覚だ。 極端に行き過ぎたアレは最低の汚物に似ていた。 本人も理解していたのだろう。 狂気はただ加速する。 人は神にはなれなかった。 それでも、信じて進むなら、ついて行ってやって良いと思った。 同情でも労わりでもなく、単純に興味本位で命を賭けた。 後悔はない。 泥の底に沈んでしまった宝石を掬い上げられなかったことは、 勿体なかったとは思う。 歪みの原因。 腐った幹。 痛んだ柱。 汚水の湧くところ。 それを発見することが生きている内にできれば良かった。 在りし日の思い出を夢はリピートする。
夢を見る。 怖い夢を見る。 悲しい夢を見た。 それはいつかある未来。 何を言ってもただ空虚。 遠くなって行く背中。 戻れない二人。 夢を見る。 嫌な夢を見る。 不快な夢だった。 片割れが死んでしまう。 どうしたところで死んでしまう。 どれほど悲しくても死んでしまう。 もう会えないのだと死に際の夢。 波音は優しく包み込む。 |