彼方の思い・1


 夏も盛りの聖域。
 十二宮は標高が高くなるとは言え、外は陽射しの照り返しで一面が真っ白に輝き、殊の外暑いだろう。
 だがアイザックのいる宝瓶宮はそのような外とは関わりなく、ひんやりと心地良かった。
 宮に立ち込める気配を懐かしく思いながら、アイザックは師を待っていた。
 渡したいものがあるからと、教皇宮へ行く途中で呼び止められた為だ。
 実の所、それは珍しい事ではない。
 行けば何かしら土産物を持たされる。
 海将軍として立とうとも己の弟子に変わりはないと、氷河に対する態度と全く変わる事がなかった。
 それは師であるカミュの立場を悪くするのではないかとアイザックは思ったが、盟約が成っている今、それは咎められる行為ではないようだった。
 

 そのまま待っていると、ようやくカミュが顔を出した。
「これをお前に渡そうと思っていたのだ」
「これは?」
 手渡されたのは、分厚いファイルのようなものだった。
 中身を確かめようと開けば、そこにはアイザックの姿が映った写真が一面にある。
 思わずアイザックはページを閉じてしまった。

「カミュ。これは一体・・・」
「この間写真を撮っただろう? その焼き増しだ」
 この間、というのは、前回来た時の事だろう。
 仕事ではなくプライベートで来て、氷河も交えて過ごしたのだが、そう言えば合間で写真を撮られていた記憶がある。
 しかし、このアルバムの厚さときたら。

「こんなにたくさん、ありましたか」
 呆れた調子にならないよう気を付けるアイザックに、カミュはこれでも減らした方だと言い返した。
「本当ならば、この倍ぐらいあったのだが、選び抜いて焼き増しをしたら半分の量になってしまったのだ」
「そうですか」
 師のこの行動を、離れて暮らす内に、少々常識から外れているのではないのか、と思うようになったが、やはり自分を思ってしてくれている行動なのだ。
 ありがたいと思わなくてはならないのだろう。

「ありがとうございました」
 そう礼を言うアイザックの行動が、益々カミュが己の行動を間違っていないと思わせているのだが、アイザックはその事に気付いてはいない。
 満足げに頷くカミュに見送られながら、アイザックはそのまま教皇宮へと向かっていった。



 海闘士の為に一室空けられた簡易の執務室に入れば、昨日の会談から来ていた面々が揃っていた。
 だが丁度休憩中だったらしく、皆は思い思いにお茶を飲んで、手を休めている。
 気付いた海闘士や海将軍たちに挨拶をしながら、アイザックは適当な椅子に腰掛け、手に持っていた荷物を机の上に置いた。


「お疲れー。海界から持って来るの大変だったろ」
 イオが真っ先に声を掛けてきたが、アイザックは首を横に振った。
「いや、俺は資料を纏めただけだから。実際ほとんど運んだのは海闘士たちだし」
「俺、資料に付きっ切りってパス」
 相変わらずなイオの言葉に、アイザックは苦笑した。
 やれば出来るのに、イオは滅多にやろうとはしないのだ。

 その会話の傍ら、アイザックが持ってきた資料を物色していたソレントが、明らかに資料に似つかわしくないファイルに首を傾げていた。
「このファイル、一体何ですか?」
 ソレントの言葉に、アイザックはアルバムを慌てて腕に抱える。
 正直、中をあんまり見られたくはなかった。

「クラーケン? 一体どうしたのです?」
「怪しーなぁ。それ、何?」
 ソレントの後に言葉を続けたイオを、アイザックは軽く睨んだ。
 完全に面白がっている。
 アイザックは決して取られない様注意しながら答えた。

「アルバムだ。カミュがこの間撮ったという写真を焼き増ししてくれたんだ」
「へー。写真?」
 そう言いながら興味が惹かれたように手を伸ばすイオを、アイザックはまた睨んだ。
「別に良いじゃん。ケチっ」
 頬を膨らませるイオに、後ろから呆れたような声が掛かった。
 事の成り行きを黙ってみていたバイアンだ。

「イオ。クラーケンのプライベートなのだから、無理強いするな」
「そうですよ。だいたい貴方は何時も人の事に干渉し過ぎます」
 呆れたように小言を言うソレントに、イオはこれ以上言われるのが嫌だったのか、取り合えず諦めたようだった。

「どうして見たいんだ? 別に面白くないぞ」
 映っているのはアイザックと、氷河だけだ。
 何の面白みもない。
 だがイオは頬杖を付きながら、だって、と口を開いた。

「写真ってあんまり見ないからさ。だからどんな風なのかな、って思って」
「・・・そう言えば、そうだな」
 アイザックも思い出しながら頷いた。
 特にその必要がない為だったが、確かにカミュにばかり撮られていて、海界で写真を撮られた事はない気がする。


 その時、アイザックの目の前に香り高い紅茶の入ったカップが置かれた。
「どうぞ、クラーケン様」
「ああ。ありがとう」
 その言葉に、紅茶を淹れたテティスはにっこりと笑う。
 そしてテティスも話しに加わろうと言うのか、空いた椅子に腰掛けた。


「どうして、イオは写真が珍しいんだ?」
 アルバムを膝上に置いて、アイザックはイオに尋ねた。
「そりゃ、馴染みないし。カメラもないし。まぁ、使う必要がないからだけど」
 イオの言葉に、他の者も頷く。

「それと、海竜様があんまりお好きじゃないんですよね」
 テティスの言葉に、アイザックは驚いて目を見開いた。
「そうなのか?」
「はい」
 頷くテティスに、思い出したようにイオも手を打った。

「あ、そうそう。昔、神官が持っていたカメラとか、全部没収していたっけ」
「そんな事もありましたっけ・・・?」
 ソレントが首を傾げながら思い出そうとしている横で、バイアンも驚いた表情を浮かべていた。
「そんな事をしていたのか、海竜?」
「うん。大分前だけど。俺覚えてるし」
「まぁ・・・その理由は、今は分かるがな」 
 双子座の影として聖域にいて、存在を消されていたのだ。
 姿を残す可能性があるものは、恐怖ですらあったかもしれない。
 しかし、存在が公になった今でも、カノンにはその名残がしっかりと根付いているようだが。

「今はもう、構わないでしょうに」
 昔は昔だと言い切るソレントに、イオも賛同する。
「そうだよな。勿体ないよ、折角見栄えがするのにさ。海竜は」
 バイアンも残念そうに息を吐いた。
「つまり、あの人に写真は残っていない、という事になるのだな」
「・・・そうなるんだろうな」
 アイザックも、薄っすらと落胆の色を滲ませて呟いた。



「あ、それでしたら、ちょっと宜しいですか?」
「どうしたんだ、テティス?」
 急に立ち上がったテティスに、全員の視線が向く。

「私、海竜様の昔のお写真を持っていそうな方に心当たりがあるんです」
「テティス、それは海竜の兄上の事かな・・・?」
 ソレントは唇だけは笑みを湛えたが、目元は既に物騒な光を宿していた。
 その横で小さくイオも呟く。
「げ、それは嫌だ」
「口が過ぎるぞ」
 アイザックも小さな声で、イオの発言を嗜めた。
 此処は海界ではなく聖域なのだから。
 だがテティスはやけに嬉しそうにしながら、もう扉の方にまでいた。


「行ってきます。楽しみに待っていて下さいね」
 そして部屋から出て行ったテティスに、まさか本当にサガを連れてくる気じゃないだろうなと、全員が心の中で呟いた。 




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2006/04/16

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